一人一人に人生があります。

菅野光広、思えば靴と共に歩む人生です


【1.スポーツとの出会い(中学生)】 

 

 小さい頃からサッカーをしていましたが、そこでスパイクシューズに出会いました。なぜ、スパイクを履くと普段履いている靴よりボールを遠くへ蹴られるのか、しっかり止まれる事ができるのか、自分の能力を増大してくれる感覚を不思議に思い、靴に興味を持ち始めました。

 そして中学生の時は、サッカー部がない学校だったのでバスケットボール部に入り、バスケットシューズに出会いました。1年生の入部当初は、皆と同じ統一されたシューズを強制的に買わされたので、その靴自体はあまり記憶に残っておりません(笑)

 

 2年生になるぐらいの時に貯めていた小遣いで、エア・マックス アップテンポを買いました。この時はめちゃくちゃ嬉しかった記憶があります。この時色々なバスケットシューズを見て回り、とてもワクワクした記憶があります。あの頃、靴屋さんは中学生の自分にとっては楽しい場所でした。店に並んでいるジョーダン・シリーズ、エア・マックス、リーボック、ポンプフューリー、色々なバスケットシューズを見て回り、そして革靴では、アイリシュセッターなど欲しいものがいっぱいあり、とてもワクワクしました。

 実際に使ってみて感じる事もありました。それは「なぜバスケットシューズはハイカットなんだろう?隣でやっているバレー部のシューズはなぜローカットなのか?同じように跳んだりしているのにどうしてなんだ?」そう思うようになって、他のスポーツの靴も気になるようになっていきました。

 「同じ靴でも、なぜ違うのだろうか?」そんな疑問を抱えたまま高校生になったから、社会人チームに入ってサッカーをしていたのですが、メーカーが違うとサイズが同じでも履き心地が違う事も解りました。ちなみに当時は、履き心地より、皆が履いていないという理由でクリックス安田を履いていました。

 

 そんな経験から、当時感じたことは「人は何かを選ぶ時、色々な理由で物を選ぶんだなぁ」ということです。デザインや機能などで最高の一つがあるならば、選択肢は一つしかで済みますもんね。

【2.神戸の靴職人の元へ通う、そこからの答え(高校生)】 

 

 高校1年生の頃、靴が好きで、自分で作り始める事にしました。想像しながら作る靴作りは、とても気持ちを高ぶらせるものがありました。木型を買って、自分で想像しながら靴を作りました。ちなみに靴底は、車のタイヤを切ったものです。カッターやハサミを駆使し切っていくのですが、これがなかなか難しく切れないので苦戦の連続。この切り分ける作業が一番嫌いでした。ちなみにタイヤは湾曲しているので真っすぐではなく、切る前に温めるのですが、曲がるより先に焦げるので、靴の素材としてはオススメしません(笑)

 気持ちが高ぶって作り始めるのですが、だいたい作っている最中にイライラして、絶望感と「何をやっているんだろう」という感覚に襲われていたような気がします。

 

 そんな中、テレビか新聞で褒章をもらった靴職人が神戸にいる事を知り、連絡をして、時間が取れる日曜日に通わせて頂けるようお願いして見学に行くようになりました。当時はインターネットも発展しておらず、今の時代のように情報を沢山集めることができない時代でした。当時の流行りがポケベルからPHSへ移行するかという時です。もし今の時代に私が高校生なら、それこそYouTubeとかを見たりAmazonで靴作りの本を買ったりして靴作りを勉強したと思います。

 

 神戸の職人さんの所へ通っていた時に感じていたのは「職人ってこんな所で仕事をするのか」「めちゃ嫌やなぁ」とか「来週はどうしようかなぁ」とか、失礼極まりない事ばかり考えていました。反省していますが、当時から22年経った今の自分ならどう思うかと考えてみても、やはり同じ気持ちなので、「私には合わない」と思います。当時の靴職人の働く環境は「狭い」「暗い」というイメージでした。

【3.しかし、靴作りを仕事にしたい(高校3年生)】 

 

  思い起こすと、高校生で少しでも靴職人の世界を体験できたのはとても大きい事だと思います。当時、他の工場の人とも話す機会もありました。靴に携わる色々な人の話に共通した言葉は、「この仕事だと食っていけない、止めておけ」という言葉ばかりでした。今考えても話してくれたおっちゃん、おばちゃんの言っている事は、その通りの事を言ってくれていたんだなぁと実感します(笑)

 また当時は、靴の専門学校などは殆ど無かったですが、今は学校も増え、専門学校などでは、就職率100%みたいな良い事が書かれていますね(笑)

 

 ちなみに私は、靴の専門学校に行こうという考えはありませんでした。色々試した結果、何も技術がつかず、それでも靴作りをしたいと思った時の最終的な選択肢だと思っていました。簡単に始められる選択肢は、一番最後まで取っておいても逃げないので、まずは挑戦できる事を先にやっていく事が大事だと考えていました。それは、早く失敗してもやり直しができると思っているからでした。

 

 話は戻りますが、高校生の時に色々な人に「この業界だと食えない、止めておけ」と言われすぎて「なぜ?」と考えるより、私もこのままでは、確かに日本の靴業界は潰れるだろうなと思う事もありました。それは、当時の靴工房に「自分が行く世界じゃあない」と反発する思いがあったからです。

 私が考えていた将来のビジョンは「既存の業界と同じ事はしない」そして「自分で靴作りを仕事にする方法を考える」という事でした。

 

 そんな自分の将来を調べている時に出会ったのが、ドイツという国でした。元々ドイツという国には、サッカーを通じて興味がありました。そして調べるうちに徒弟制度が残っているという事や整形医療靴の事、靴の歴史などを知り、ますますドイツに興味を持ちました。しかし、英語もできない、ましてドイツ語なので、今思うとかなり無理っぽい選択でしたが・・・。

 その当時、自分の考えの答え合わせがしたかった事を覚えています。私の問いは「私がドイツに行って靴の修行をする事で、将来靴職人として生きていく事ができるのか?」です。その問いかけに対してYESでもNOでもどちらにせよ、私が納得できる理由と答えを返せる人は近くにいませんでした。

 

 なので、まずは有名ブランドの社長に自分の思いや考えを聞いてもらいたくて、電話をかけまくりました。大抵の所からは相手にされませんでしたが、実際に私の話を聞いてくれた会社もありました。

 実際のところ「上手くいく」と言ってくれる会社はありませんでした。しかし、「失敗する」と言われることもありませんでした。分かった事は、結局誰に聞いても分からないという事です。誰も将来の事は分からないという結論に至りました。

 

なので、ドイツに行ってやってみようと自分自身で決断しました。

 

”学生の間に分かった事、決めた事”

靴の仕事は無い。既存の靴職人になっても将来がない。だったら、人と違う事をしよう。

 

【4.ドイツでの修行(19~22歳)】 

 

 ドイツでの生活の最初の目標は、語学学校に入りビザをもらい、就活をして語学留学のビザから就労ビザへの切り替えでした。色々な靴工房、店舗、工場をまわり、ドイツの南に位置する黒い森・フロイデンシュタットという町にある整形医療靴の靴屋を訪れました。面接の際、「 Ich möchte Schuhe heiraten (私は靴と結婚がしたい) 」と熱く語って内定をもらい、修行が始まります。

 

 学校期間は、学校が近くにあるわけではないので朝早くに家を出て、夜遅くに帰宅する生活です。学校には同じような年齢の靴職人見習いが多く集まっています(国籍でいうと、ドイツ人が一番多いですが、次いでトルコ人も多く、ロシア人も当時は多かったです。

 日常生活に困らない程度には読み書きができましたが、専門的なドイツ語にはとても苦しみました。試験当日は、落ちたらどうしようと暗い気持ちになっていました。気候と気持ちの浮き沈みが関わっているのか、特にドイツの重たい空の日は気持ちがどんよりしました。日本の山陽の天気とは違いますね。

 

 ドイツでの修行生活を振り返り、神戸の職人さんの元を訪れていた時と比べると、靴職人の仕事環境についてはとても良かったです。機械も揃っていましたし、作業場も広く、照明も明るい環境でした。基本的に建物自体が日本より大きくて広いので使い勝手が良く、当時日本にある規模が同じ位の靴工房と比べて、利便性でも雰囲気でも多くな差がありました。

 修行先では、社長の娘さんと他の靴会社の息子さんが同期として修行をしていました。1年目の修行の基本は雑用や掃除、冬は雪かきです。先輩や職人さんの仕事を見て学び、時々与えられるチャンスに靴作りの作業をする、そして失敗する、また見て学ぶの繰り返しでした。

 同じ同期でしたが他の二人と比べると、チャンスが少なく、何か優遇される事は皆無でした。逆に社長の娘さんは優遇されていたので、当時は悔しい思いが日々募り、辞めたいと思う時もたくさんありました。「悔しい、悔しい」という気持ちで靴作りの技術が伸びたところもあったと思います。気持ちの面で紆余曲折はあったものの、結果的には、靴の仕事の基礎を学べ、靴職人の資格をとる事ができました。

 

 次に訪れた選択が「このままこの会社で職人として働くかどうか」です。私は、自分自身が日常生活はドイツより日本での生活の方が合っていると思っていたので、資格取得後、5年のドイツ生活を終え、日本に帰りました。もともと、自分がこの靴会社で力を発揮していく事より、色々吸収していく事を優先して考えていましし、私の理想としては「日本文化の日常生活、ドイツ文化の仕事環境」で両立ができればいいなと考えていました。

 

”ドイツでの修行を終えて思った事”

これで、靴職人になれた。靴職人の基礎ができた。

【5.北海道での仕事(22~24歳)】 

 

 ドイツでの修行時代の社長から日本の靴会社を数社ほど教えて頂き、面接を受けました。その中から条件や環境が気に入って、札幌の靴会社に就職しました。そこでは最終的に、靴に関わる様々な仕事を任せてもらえる立場になりました。私からの提案で、契約更新という条件での雇用でした。年毎に契約の延長や条件交渉をさせて頂ける関係で働きました。

 仕事の内容は、整形医療靴、インソールを作る事、修理を行う事です。2年間働きましたが、自分の足りない部分(技術)が、仕事やお客様を通じて見えてきました。それまでのドイツで得た基礎だけでなく、その先の靴職人として必要な事を考えるようになりました。そして自分が将来やっていきたい事や、作りたかった靴の事など、この環境で、自分が本当に靴職人としてやりたかった事に近づいているのかを疑問に思い始めました。

 

”北海道で仕事をして分かった事”

自分の将来を考えた時に、任される仕事での靴作りと目標にしている靴作りとの違いが見えた。

【6.婦人靴・紳士靴メーカー時代(24~27歳)】

 

 北海道の会社で働き、自分に足りない知識として気づいたのは、既製品や量産製品の分野でした。なので、メーカーでビスポーク(オーダー)靴と既製品靴の違いを知るために企画・プロデュースをやっておきたいと思い、メーカーに転職しました。

 メーカーでの仕事は、主に型紙を切ったり、サンプル靴を作る仕事です。展示会用のサンプルを作ったり、デザイナーからの依頼に合わせて、型紙とサンプルを製作。材料の発注や、工場にて指示を行っていました。各メーカーでは多量の靴を作るために朝早くから分担作業で色々な工員さんが各工程で働かれています。これまでに経験したことのない百足、千足単位の靴を扱い、これまでの基礎に技術や知識を重ねていく経験をする事ができました。

 

”メーカーでの仕事で感じた事”

靴メーカーも縮小し、ある程度は淘汰されていくんだろうなと思いつつ、私の理想とする靴作りをメーカーの仕事でも挑戦できる可能性はあるようにも感じました。ただ当時は、私がするタイミングが今ではないなと感じ、まずはビスポークで挑戦してみようと考えました。

【7.靴工房MAMMA(28歳~現在)】 

 

 2008年、靴工房MAMMAをたつの市で開きました。仕事を始めて2年半程は仕事も少なかったように思いますが、気負っていたこともあってか、当時の心境や苦労はあまり思い出せません(笑)

 そんな中、地元のタンナー(革屋)さんに「このままだと田舎の靴職人で終わるよ。こんなコンテストがあるよ」と言われ、紹介されたコンテストに紳士靴部門にて応募。コンテストでグランプリをいただき、その2年後には婦人靴を出品し、再度グランプリを受賞しました。賞での宣伝効果もあり少し知名度が上がって、お客様も増えました。私生活では、結婚して家族も増えました。妻は修行時代から見守ってくれており、感謝しています。

 

 お客様は、足に合わない靴でお困りの方やこの様なデザインの靴が欲しいといったイメージを持って訪れる靴好きの方、記念の靴を作りたいとお越し下さる方など、様々なお客様がいらっしゃる靴工房になりました。全く同じ靴を作る事は少なく、日々新しい出会いがあり、毎日思案しながら靴作りを続けています。

 

 今、靴工房MAMMAでは、”MITSUHIRO SUGANO”の名前で靴を作っています。靴に自分の名前を入れる喜びも責任も感じます。紳士、婦人、フォーマル、カジュアルなど、履かれる人や用途によって様々な靴を製作、メーカーの型紙やサンプル製作も行っています。いつまで靴を作れるのか考える事もありますが、目の前の靴と向き合っている現在です。

 

 ”靴工房MAMMAでの仕事”

お客様の人生の一部となっていく、多種多様な靴を作れることが楽しいです。


資格

Orthopädieschuh mecher-Handwerk GESELLEN-BRIEF 資格取得

※整形外科靴技術職人(ドイツ国家資格)


受賞歴

2011年 Japan Lether Award2011 プロフェッショナル;紳士靴にて、グランプリ受賞

 

2014年 平成24年度兵庫県青年優秀技能賞

 

2013年 Japan Lether Award2013 プロフェッショナル;婦人靴にて、グランプリ受賞

 

2016年 Internationaler Leistungswettbewerb des Schuhmacherhandwerks世界の靴職人が技術を競う3年に一度の著名な技術大会である国際靴職人技術コンクール(ドイツ);婦人靴にて、金賞及び最高名誉賞受賞

 

2019年 Internationaler Leistungswettbewerb des Schuhmacherhandwerks世界の靴職人が技術を競う3年に一度の著名な技術大会である国際靴職人技術コンクール(ドイツ);紳士靴にて、金賞受賞